2009年08月07日

結局アメリカは謝らない。道義的とは?

8月6日は初めて核兵器が地球上で使用された日である。
核兵器を使った唯一の国の道義的責任があるとオバマ大統領が言ったが
道義的責任とはどういう意味だろうか?
法的には問題ないが、人としての道を外れた行為だったと言う意味だろうか?
国として外道な行為が合法だとしたらそれも変な話である。
そういう時代だったということならば、もっと直接的な
反省の表現も出来ると思うのだが・・・・。
やはり誤りを認めることの出来ない国なのだろう。

もし謝罪的反省的表現をしていたら、アメリカ国民の支持が下がるだろう。
なぜならば、未だにアメリカでは原爆投下について6割の人が
仕方が無かったと政府を支持する見解を示しているからだ。
2割の人が原爆は間違いだったと思っているという。
当然今年も広島にはアメリカの代表団は来ていない。
世界からは59カ国の代表団が参加しているのに・・・
落とした国も、落とされた国も年月が過ぎれば原爆投下の
事実や意義までも薄れているようだ。

戦争という行為は実のところ国同士の外交手段の1つである。
戦争にはルールが無いように思われがちだが、調べると
色々と細かいルールは存在している。
無差別攻撃というのは敗戦濃厚な国が行う卑怯な手段が一般的だが、
原爆は完全に無差別攻撃である。
もっと言えば東京大空襲だって無差別攻撃である。
一般市民を巻き込むのを前提とした攻撃は現在では先進国では
行われないだろう。

少し前に、大臣が「起きてしまったことは仕方がない」
と発言して辞任したが、日本は世界で唯一の被爆国だ。
今となっては仕方のないことだが、被爆国として世界に訴え続ける
義務を持っている唯一の国であるとも言える。

そもそも原爆という核兵器がアメリカの国策で開発されて、
完成した時には既に日本は敗戦寸前であった。
そんな状態の戦争で、なぜ原爆を使用する必要があったのだろうか?
なぜ広島・長崎の2発も投下する必要があったのだろうか?
2発の原爆は違うタイプの2種類が投下されている。
完全に実験だった訳だ。

ソ連が不可侵条約を破り日本に侵攻を開始したので、早く戦争を
終結させるために投下したと理由付けをしたが、
社会主義の拡大を恐れるアメリカと、条約違反のソ連の侵略行為で
新開発の原爆の威力を見せ付ける必要性があったのだろう。
それは、対日本への攻撃ではなく、対社会主義国家であった。
これが道義的責任という意味なのかもしれない。

 
 
posted by ニコプラJ at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治的危機 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック